広告の未来(前編)
今日から2回は広告の未来について書いてみようと思います。
インターネットによってすべてのモノがつながり、情報が加速度的に双方向化していくこの時代において、広告はどう変わっていくべきなのか、広告の担う社会的な意義とは何か、についての大きな「餅」を絵に描いてみようと思うのですが、
これを話すには、我々が新しく人に会うと必ず聞かれる質問、「なぜエレベータというニッチな領域に特化するのか」エレベータなのか?」ということに答えるところから書き起こさねばなりません。
なぜエレベータなのか?
なぜエレベータは僕たちの目にそこまで魅力的に映るのか?
エレベータと未来の広告とはどう繋がっているのか?
いずれもよく聞かれる疑問です。
我々の考えている答えは明確です。
ただのニッチな領域で、まだ参入している人がほとんどいないから、というだけではもちろんありません。
上の問いの答えは二語に集約されます。
「暴力性」と「ターゲティング」です。
広告は暴力的たれ。
突然ですが、中吊り広告の広告料金は、地下鉄と地上を走る電車とで比べるとどちらが高いかわかりますか?
いろいろな答えが帰ってきそうですが、実は、
中吊り広告一枚あたりの広告料金は、地下鉄の方が地上を走る電車より2倍も高いのです。
どうしてでしょう?
実は、最大の違いは、広告到達率といって乗客のうち広告を見る人の割合が2倍も違うことにあります。
地下鉄(例:東京メトロ)は外の景色を見ることができない分、人々の目線がどうしても中吊り広告に行きます。その結果乗客の半分は広告を見ることになり、広告到達率は44.3%に達します。
一方で地上を走る電車(例:首都圏近郊のJR東日本路線)は外に目をやれるので広告の見られる割合も低くなってしまい、広告到達率は18.7%にとどまっています。地上の電車の中では5人に1人しか広告に目を向けません。
それが広告料金にも反映されるのです。
これを言い換えると、地下鉄の中吊り広告は地上を走る電車より「暴力的」だということになります。
ではなぜ暴力的であることが大切なのか。
あなたが大企業のメーカーの広告担当だと想定して見てください。一定量の人の目に触れなければならないと考えた時に、「暴力性」の低いメディアを使う場合は広く薄く広告を打たなければなりません。
広告の品質も落とさざるを得ないですし、広告を見る人からしても必ずしも自分が対象ではない広告が出される訳なので、どうしても「邪魔だ」「鬱陶しい」という感情が先行します。
逆に「暴力的」なメディアを使えば、誰が見るかを想定できるので広告を出す側、見る側双方にとってハッピーです。広告もたくさん出さなくていいのでクオリティにもこだわって作りこむことができ、その結果ブランドイメージの向上にもつながります。
先ほどメトロでは広告到達率が44.3%で2人に1人が広告を見る状況にあると言いましたが、世の中にはそれがかぎりなく100%に近いメディアがあります。
それが、エレベータです。
毎日エレベーターに乗って中に例えば、このようなウォーターサーバーの広告が出されていたら、、
これを覚えていないということは決してないでしょう。広告到達率100%だというのはこういう意味です。
そして、広告到達率が100%だということはターゲティングの問題も解消していくのです。
視聴者と広告主の不幸なミスマッチ
広告到達率が低いメディアの弊害として、ターゲティングがうまくいかないということも挙げられます。
5人に1人しか広告を見ないということは、人によって見る広告の数は同じだと仮定すると、我々は見た広告のうち5個に1つしか興味を持たないし、覚えていないということでもあります。
残りはただ鬱陶しいだけの情報の押し付けです。
男性の僕にとって脱毛サロンの広告に全く興味はありません。それでも僕の視界には入ってきますし、脱毛サロンさんも絶対に客にはならない僕に見せるためにいくらか広告料金を払っています。
これではお互いにとって不幸です。
そして、この不幸はターゲティングがうまくいっていないことが原因です。
実はターゲティングがほぼ完全なメディアというのはSNS広告、DM以外に存在しません。
電車には誰が乗るかわからないし、テレビだって誰が見るかわかりません。
その点、エレベーター広告のターゲティングは完璧です。
誰が建物の利用者なのかということはオフィスビルであろうとマンション・アパートで明白なのです。
「暴力的」であるがゆえに美しく、「ターゲティング」が完璧であるためにミスマッチを起こさない、そのような媒体は実はエレベーターくらいしかないのです。
それでは、なぜエレベーターなのか?という問いに答えが出たところで広告の将来像を語っていきたいと思います。(つづく)