「僕はほとんどaikoです。」
今しがたローストビーフ屋で読み物をしていて気づいてしまった。
広告の本質に。
aiko狂の人に取ってaikiを聞くとどうなるのか。読んでみよう。
私はaikoではありません。ただの伝道師にすぎません。しかし私はほとんどaikoでもあります。aikoを聴くことはaikoになることですので、私はすでにほとんどaikoではあるのです
スタバでaikoを聴いていたら隣にaiko的世界が生まれていた - 真顔日記
おわかりいただけただろうか。
彼にとって「aikoを聞くことはすなわち、aikoになること」なのだ。彼にとってaikoというのはもう一介の歌手に留まらない。
「あなた」の視線の先にいる「あの子」、の前をわざと通り過ぎてサブリミナル効果を狙う幽霊であり、
たとえ「あの子」はいなくても、「あなた」との視線の一方通行に悩む乙女心であり、
「あなた」に切った髪を見てほしいけどそんな勇気はないややこしい女子の心の叫びであり、
恋に苦しむ全ての人の魂の結晶なのだ。
ちなみに僕はaikoだと「秘密」が好きです。
この世に 「秘密」のサビの裏声以上に切ないものがあったら、教えて欲しい。最低価格保証はできないけれど、最高感情保証はきちんもします。
お次はサントリー南アルプスの天然水のウォーターサーバーについての広告代理店の一人語りである。
もしかしたら、家族の水を南アルプスの天然水にするということは、南アルプスの環境で暮らす、つまり森の中に引っ越すようなことではないか?と考えました。
南アルプスの天然水のウォーターサーバーを導入することはすなわち、森の中に引っ越すことであるッ!」
大胆にこう言いきれる肝っ玉に惚れ惚れする。商品を売ることはこうあるべきなのだ。
ウォーターサーバーが欲しいと思う人なんているはずがない。でも、少なくとも東京都民ならみんな森の中に住みたいと思っているのだ。
製品ではなく、体験を売る。
むしろどういう体験をしてもらいたいか考え、そこから逆算して製品をつくる。
このようなことが言われて久しい。
でも、ここでaikoやサントリーが提供しているのはもはや「体験」なんていう生易しいものではない。
VRをはるかに超える没入感、一体感、そのものになりきること、これを提供するのが広告の仕事だ。
製品を売るのがメーカーだとすれば、我々はその製品を使った未来を描くアーティストだ。その製品を使うと何と同一化できるのかを考えるのが我々の仕事なのだ。
自己紹介が遅れてしまった。
僕はふだん広告ベンチャーの社長をしていたりする。
この社のHPのブログにも、「完全に自分用の未来の広告」だとかはたまた「言語論的転回」だとについていろいろとかきなぐっているので、以後お見知りおきを。